1956年にゴザで『全島エイサー大会』が催され、各地域のエイサーが一堂に会したのである。この企画の陰には、戦後の復興を望む気持ちだけでなく、皇民化教育で失われかけていた沖縄の方言や文化に対する危機感や、さらには当時の米軍統治をはね返し、アイデンティティを守り抜きたいという熱い思いがあったようだ。これ以後、お盆に限らず、各小中高で学校行事の際にエイサーを踊るようになり、今日のように祝賀行事でも踊るようになったという。以来、エイサーは年を追うごとに熱を帯びてきている。エイサー大会にコンクール制が導入され、各地域の若者達の競争心が駆り立てられる。エイサーの主役は若者達であって、稽古や実施の方法などには先輩は一切口をはさまないことも、若者が集まる一因らしい。エイサーといえば勇壮に踊る男性達の姿がすぐ目に浮かぶように、ウチナー(沖縄)男性が一年でいちばんかっこよく見える踊りでもある。もちろん女性の踊り手もいて、一緒に汗を流して練習するので情が移るせいか、はたまたこのときばかりは(失礼)男性がかっこよく見えてしまうせいか、エイサーの後にカップリングする率は高いという。また、それで結婚することをエイサーユービチ(盆踊り結婚)というらしい。
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左手の山の中腹にスキー場があるのを遠く見て、芦別に到着。滝川発以来、初めて大人数の乗降があった。下車・乗車とも10名ほど乗り降りし、雑踏の雰囲気が車内に少しだけ漂う。が、それも束の間。乗客がめいめい席に落ち着くと、車内は再び静けさに包まれ、列車はホームをゆっくり後にした。次の上芦別で1回目の交換。池田発滝川行の上り普通列車2428Dとの行き違いが、ここで行なわれるが、2429Dの発車時刻10時17分をまわっても、上り2428Dが一向にやってこない。少し遅れているようだ。根室本線は単線だから、上りが到着しなければ、下り2429Dは発車できない。いきなり、交換初回から待ちぼうけ。結局、2428Dは8分遅れで到着。2429Dは10時25分にようやく発車した。記念すべき交換劇第1回は、ダイヤ通りにはいかなかった。次の野花南では、乗降客ゼロ。運転士はホームに乗客の姿がないこと、乗降ドアに下車客がいないのを唯認した上で(ワンマン運転のため小駅では運転席後ろのドアしか開けず、そこで運転士が集札と精算を行う)、ドア扱いをせずに停まるか停まらないかの低速で、ホームを通過させた。上芦別で生じた遅れを少しでも回復させるためだろう。だが、何となく寂しい気がしないでもない。野花南の小さなホームと駅舎は、次の列車がやってくるまで雪の中で静かに待たねばならない。その情景が、少しわびしく見える。
旅の初心者が起こしがちなミスかというと、私のように一年に十回以上も海外旅行に出かける者にも起こるから、地団駄踏んで悔やんでも取り加えしがつかない。家内がまずパリでやられたが、この時はドイツとオランダに行くのをキャンセルして、フランスからそのまま帰ってきた。次に私がやられたのはブエノスアイレスで、「ここは治安のよいところですから」という現地在住の日本人の一言につい気がゆるんで、繁華街の靴屋で靴を試しているほんの三十秒の間にハンドバッグごと持ち逃げされてしまった。なかにパスポートと手帖と現金が四百ドル余りと使いなれた万年筆二本が入っており、お金の方はまた稼げば戻ってくるが、他の三つの紛失物には全く閉口した。一番大切なのは、もちろんパスポートである。パスポートをなくすと、途端に出国もできなくなる。おかげで経済視察団の団長をつとめながら、団長とその女房が置き去りにされるということになった。日本大使館にビザの再申請に行くと、大使がわざわざ自分の部屋に私を通してくれ、「どうもとんだ災難ですみませんね」と向うからあやまられたのにはすっかり恐縮してしまった。盗られたのが休日だったり、その前日だったりすると、東京に照会した返事がくるのが二、三日遅れていらいらさせられる。